高齢農家さんが畑を手放すとき。
それは、歴史と思い出と尊厳を手放すに似た、
苦渋の決断なのです。
だからこそ、僕らが受け継ぎたい。
たくさんの思いを、次代にも繋げたい。
御年81歳になる土居さんは、2年前の夏、
長年連れ添ってきた奥さんを亡くし、
夫婦でやってきた畑を続けられなくなりました。
そして、ちょうどその時期に、東京からひょっこりやって来た若者に畑を貸しました。
若者は現在、借りた畑で、土居さんが育ててきたいよかんを丁寧にお世話し、美味しいいよかんを収穫しています。
そのいよかんが、神奈川のカフェのパティシエさんの手により、美味しいお菓子になって中島に帰ってきました。
今日、若者はそのお菓子を土居さんに渡しに行きました。
土居さんは決して気さくなほうではなく、どちらかと言えば無口で気むずかしい方といった雰囲気。
ですが、しばらくぶりに姿を見せた若者に対して「畑も奇麗にしとるじゃないか」と頑張りを認め、いよかんのお菓子に口元をほころばせていました。
「最近は写真を撮られることもないけんのぅ」と硬い表情の土居さん。
しかし、その言動の端々に、思いもよらぬ伊予柑の里帰りと自分の畑がしっかりと引き継がれていることへの喜びが溢れていました。
過疎高齢化の島、中島。
100年以上受け継がれてきたみかん畑ひとつひとつにストーリーがあり
思い入れがあり、プライドがあります。
一年、また一年と経つ度にやむを得ず放棄されて行く畑。
拡大は止まりません。
数年もすれば雑草が生い茂り、イノシシの棲み家となればその畑に立ち入ることすらままならなくなります。
高齢農家さんが畑を手放すとき。
それは、歴史と思い出と尊厳を手放すに似た、苦渋の決断なのです。
だからこそ、農音が受け継ぎたい。
たくさんの思いを次代にも繋げたい。
畑が放棄される前に、耕作地として受け継ぐことが中島を柑橘産地として生き残らせるための最善策です。
農音では畑を、1反(300坪/990㎡)当たり年間10,000円の借地料でお借りすることにしています。
農音や農音を介して移住した人たちの畑を合わせると、およそ4ヘクタール。
でも、まだまだ。
放棄地の拡大を止めるにはスピードが足りません。
あなたのご支援で、この柑橘の一流産地が
一流であり続けられます。